藍峯舎

藍峯舎通信 web version

藍峯舎通信 web version

Vol.08 2015/12/7

 お待たせいたしました。今回は藍峯舎版「幻想と怪奇」で挿画をご担当いただいた銅版画家坂東壯一氏のインタビューをお届けします。氏のプロフィールは別掲でご紹介の通りですが、様々な作家とのコラボレーションを経験してきた坂東氏にとっても、乱歩との「競演」は初めてのこと。鍾愛する乱歩の名作に挑んだ制作の舞台裏を語っていただきました。


 乱歩との出会いは、僕の場合も少年時代の怪人二十面相シリーズです。娯楽の乏しい時代だったこともあって文字通り寝食を忘れて読み耽り、心を動かされました。ただ自分でも不思議なことに、その頃から光より闇への志向が強かったのか、普通ならヒーローである名探偵明智小五郎や、年齢も近い小林少年に感情移入するところなのに、僕は敵役である二十面相のほうにより強く魅かれていました。悪の化身である二十面相が垣間見せてくれる怖くて妖しい闇の世界が、子供にとってまったく未知の部分だけに、たまらなく魅力的で想像力を掻き立てられたんですね。

 乱歩の大人ものと再会するのは大学に入ってからです。当時は乱読で手当たり次第に何でも読みましたが、リアリズム系のものより幻想的なものが自分の気質に合い、特にポーとかリラダンは熱心に読みました。また、フランスの象徴主義の作家ユイスマンスとか同時代のピエール・ルイスも好きでした。そうした流れから、ポーを経由して乱歩の大人ものを読み始めたわけですが、当然ながら熱中しました。好きな作品はたくさんありますが、とりわけ惹き付けられた作品のひとつが、今回の「幻想と怪奇」にも収められている「蟲」です。乱歩の作品には、普通の人間が何らかの対象にこだわって、取り憑かれたようになった挙句、ついに一線を超えて狂気の世界に踏み込んでしまうという設定のものが多いのですが、なかでもその狂気が最も切実かつ凄絶に描かれたのが「蟲」だと思います。誰もが持っている心の闇がエスカレートして行き着く先の、常人の想像力の及ばぬ世界を、ここまで描き尽くす作家がいるのかと本当に驚きました。

 それだけ乱歩を愛読してきたのだから、今回の挿画の仕事が楽だったかといえば、そんなことはありません。今回の仕事の間じゅう、「これを担当するのは果たして自分でよかったのだろうか」という自問自答を繰り返していたくらい、乱歩の世界を自分なりに表現するのは難しく、手強い相手でした。あらためてテキストを何度も読み返し、情景をイメージするのですが、浮かんだ情景をそのまま描いても自分の作品にはなりません。イメージを自分の中で象徴化しなければ、単なるストーリーの絵解きで終わってしまいます。ただ、乱歩の小説は語り口が絶妙ですから、どうしてもストーリーに引きずり込まれてしまうんですね。今回の六点の版画の制作は、乱歩の原作が喚起する具体的なイメージに抗って、それをどう象徴化して自分の作品にするかということで、原作とのせめぎ合いの連続でした。

 特装本のほうで、オリジナル銅版画に自分の手で色を加えることになったのは、どのように表現すれば乱歩の世界に近づけるかと、あれこれ考え続けているうち、ふと色を加えてみたらというアイデアが浮かんだのです。試しに刷り上がった版画の一、二点に透明水彩絵具でほんの少し色を足してみたところ、雰囲気が微妙に変化して、それが僕にも予想外で新鮮でした。そこから発展して全点に色をということになったのですが、色の世界は不思議で、いざ付け始めるとどんどん面白くなって止め時が難しく、つい付け過ぎてしまうんです。しかし付け過ぎてしまっては、もう版画でなくなってしまうので、色を塗っては止め、塗っては止めを繰り返し、ひとつの作品に何枚も試作を重ねました。その結果、当初の予定より完成までにたいへんな時間を要することになってしまいましたが、乱歩の世界への僕なりの新たなチャレンジとして受け止めていただければ嬉しいです。
(2015年11月、東京・九段下にて)

坂東壯一プロフィール
1937年、香川県生まれ。10代の少年時にたまたま手にした洋書でアルブレヒト・デューラーの銅版画と出会い、香川大学在学中の20歳の頃、独学でその技法を習得。大学卒業の翌年の1963年、日本版画協会展で協会賞を受賞しデビュー。1965年には春陽会賞受賞。東京・シロタ画廊などで多数の個展を開催する。版画集に「薔薇の秘法」(1977)、「庭園の闇」(1996)「植物譚」(1999)、「仮面の譜」(2009)など。作家と組んだ限定本には、辻邦生「デュファイあるいは転換期の芸術家の肖像」(湯川書房)、小川国夫「血と幻」(韻文叢書)などがある。

過去の藍峯舎通信