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Vol.05 2015/5/11

 長らくのご無沙汰で恐縮ながら、「鬼火」の進行状況のご報告から。

 本文及び解説の初校ゲラを印刷所に戻して再校が出るのを待ちつつ、現在は竹中英太郎の挿画8点を原画から復刻した印刷用データのレストア作業が着々と進行中です。80年という時を経ているにもかかわらず、原画の状態は奇蹟的と言ってもいいくらい良好ですが、さすがに仔細に点検してみると細かいところに経年変化が生じており、原画のニュアンスを損なわぬよう細心の注意を払いながら、高精細印刷で最良の結果を出せるよう、時間と手間をかけてデータの修復作業が続けられております。

 さて、藍峯舎のこれまで刊行してきた3冊はいずれも亂步関連本ですが、今回の「鬼火」は初めて亂步から離れた作品となります。とはいえご存知の通り、横溝正史は亂步の終生の「盟友」であり、このラインナップに連なってくるのは、ごく自然に見えるかもしれません。ただ、横溝の数多い作品の中からあえて「鬼火」を選択したのは、これが横溝の戦前期を代表する名作であるというばかりでなく、雑誌「新青年」に発表の際に添えられた、「伝説の挿絵画家」竹中英太郎の最高傑作とも称される挿画を、最もそれにふさわしい形で提供することが可能となったからです。

 竹中の挿画を添えた「鬼火」は、1986年に刊行された東京創元社の「日本探偵小説全集」の横溝の巻で実現されていますが、残念なことにこの本は文庫サイズのうえ、挿画は雑誌の誌面からコピーされたものらしく、竹中の繊細な筆遣いや濃淡の微妙なニュアンスを完全には再現できておりません。一方、いくつかの名作挿絵アンソロジーや竹中の個人画集及び研究書は、原画からデータを起しておりますが、そこには挿画だけしかありません。当然ながら、挿画はその本文とともにあって最も輝きます。その意味で僭越ながら今回の藍峯舎版「鬼火」は、この竹中英太郎の最高傑作の真価を、初めて十全に伝えることのできる舞台ともいえるのではないでしょうか。

 さらに、横溝の本文のテキストについても一言。今回は多くの流布本と異なり、初出の雑誌「新青年」発表時のものを底本としています。前篇の掲載された「新青年」昭和10年2月号が検閲禍により10頁の削除処分を受けたため、横溝は単行本にする際に改稿を余儀なくされ、この初出のテキストは検閲制度の廃止された戦後になっても、長い間封印されておりました。今回が初めての単行本化となるわけですが、この「新青年」のテキストを詳細にチェックしてみてびっくりしたのは、横溝が心血を注いだこの名作に対する扱いが、いささか「雑」であったことです。横溝正史の没後(1981年)になって、ようやく横溝家に戻された初出の生原稿(その間の事情については、本書の中相作氏による解説をお読みください)と照合してみると、不注意による誤植や文章の脱落は別にして、まず目に付くのは、文章のリズムを定める句読点の省略ないし意味不明な位置の移動が夥しいことです。また、作者が意識して用いている漢字を別の字に置き換えてしまったり、作中の会話の一部を省いたり、時には会話そのものをそっくりカットしてしまうなどの、かなり乱暴な扱いが散見するのです。

 検閲当局による理不尽な削除処分に加えて、この杜撰と言われても仕方がないテキストの扱いは、大きな後難を招きました。横溝は単行本化にあたって改稿の際、前述の通り手元に初出の生原稿が戻っていないため、「新青年」のテキストとの照合ができず、編集部が改悪してしまった箇所(もちろん一部は訂正していますが)の多くをそのまま単行本に移してしまい、それが今日まですべての刊本に引き継がれているのです。つまりは横溝が病身をおして、原稿の一字一句まで精魂を込めて書き上げた名作「鬼火」は、作者が意図した通りの形では、残念ながら読者に届いていなかったということになります。今回の藍峯舎版「鬼火」は「新青年」の初出テキストを、生原稿および改稿版を参照してブラッシュアップし、発表から80年を経て初めて、執筆時に込めた著者の切実な想いを可能な限り忠実に伝える、オリジナル完全版として提供いたします。流布本の「鬼火」と読み比べて、この名作の真の姿をご賞味いただければ幸いです。

 というわけで、進行はいつもながら予定よりやや遅れ気味で、予約の開始まで恐縮ながらもう少々お待ちください。次回の通信では、これまでの3冊とは趣を異にした装幀・造本の仕様をご紹介いたします。

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